2017年3月10日金曜日

インターネットに意思表示するということ

 何度ブログ開設を試みたかわからない。そして何度挫折し、それを恥じ、すべての投稿を削除したかわからない。インターネットに自分の思いをつづるということは、今日全く当たり前のコミュニケーション手段であると同時に、あらためて一歩下がって考えてみると、実に滑稽で且つ驚くべき露出である。

 子供のころ、物書きになりたかった。新聞記者になりたい、また作家になりたい、そうした「夢」の背後には、より多くの人に自分の書いたものを読んでほしいという思いがあった。ほんの20年前までは、ごく限られた人々しか自分の書いたものを多数の聴衆に読んでもらうという特権が許されていなかった。しかし昨今では誰もが、実にインターネット利用環境にある誰もが、ソーシャルメディアに文字を載せ、公開ボタンをクリックした瞬間にその特権を得るのである。何を当たり前のことを今更、というのは簡単である。しかしながら、当たり前とみなされるようになったことを疑う力こそ、今求められている能力だと考える次第である。

 あふれかえる情報に押し流され、取捨選択を怠り、与えられたそばからすべてを信じることは誰にでもできる。しかしながら、情報を受けた瞬間、その情報が真とみなすに値するものか、事実調査を行うのはおそらく骨であり、理性のある人間にしか備わっていない姿勢である。

 誰でも簡単に情報を発信できるということは、裏を返せばその情報の信ぴょう性が格段に下がるということでもある。時代を通じ、権利を得るということはその代償に、責任を伴うという法則を、こうしてものを書き始めるに当たり、戒めとして今一度思い出しておきたい。さらにはこのブログを読むに当たり、ここに書かれたものはすべて一度疑うという姿勢で取り組む方にのみ、読者になっていただきたいと望む限りである。


 未来の読者への挨拶兼、ペシミズムに満ちたプロローグとして。

  水田千晶